スプーンで掬って食べるケーキ、あるいは偽りの王者たち
宇宙について考え始めると、この美しい地球(ほし)はおろか、かけがえのない私(me)についてさえ取るに足らない些末な問題であるように感じられてしまうのだから恐ろしい。
だから私には、「海を見てごらん。自分のちっぽけさに気づくから」というセリフが、慰めや励ましの言葉として適切であるとは到底思えないのだ。
そもそも、「ああ、海はなんて広いんだ。それに比べて俺なんかちっぽけだ。そうだ、だからこそ思いっきり生きてやろう!精一杯やってみよう!」などというような都合の良い結論に至る人間の悩みなど偽装である。
私たちは他人に向けてのみならず、高頻度で自分自身に対しても嘘をつく珍妙な生き物なのだ。
さて、私たちが偽装するもののひとつに「弱い自分」というものがある。
皆さんも良くご存知のように、私たちの住む世界では強そうな個体に様々な仕事やそれに伴う責任が集中し、需要と供給が完全に崩壊した世界、を、超人が、維持する、という、歪な様相が、散見される。
もちろんそのような世界では“弱いふり”をするのが定石である。
体力や知能、各種技能といった社会的生物的価値が低ければ低いほど、私たちは気持ちふんわりと日々を過ごすことが可能になる。
劣等感?疎外感?
馬鹿を言っちゃいけない。
“強き者”を見たまえ。
学校で、会社で、家庭で、毎日毎日彼らがどれだけの責任を背負ってどれ程の仕事量をこなしているか。
海よりも深い劣等感や霙のように冷たい疎外感には耐えられる私たちであっても、さすがに“強き者”と同じだけの仕事と責任を背負ってしまったら1日だって、いや、2時間だって耐えられないだろう。
私たちの背骨は、そんなに太くはないのだ。
そこで、比較的頭の回る私たちの祖先は、“サボる”という行為を発明した。
私たちの祖先は時に肉体的体力を温存するために、時に精神的健康に保つために、時に費用対効果を最大限高めるために、ありとあらゆる場面において圧倒的にサボってきた。
一生懸命に、限界を超えて働き続けたいくつかの種は、自身にのしかかる重圧に耐えきれずその命を散らしていった。
種として最も成果を挙げてきたのは“強き者”ではなく、“偽装者”である。
“偽装者”は実際にはある程度の力を持ちながら、あえて“弱き者”を偽装することで仕事と責任を“強き者”に押し付け、彼らが社会貢献に邁進している隙に自分たちはものすごい勢いで繁殖をし勢力を拡大してきたのだ。
つまり私たちは“偽装者の子孫”であり、今でもなお突然変異としてのみ存在する“強き者”に責任の所在を全振りしながら高笑いでのうのうと暮らしている訳であるが、そんな事実を認めることはバベルの塔より遥かに高い私たちのプライドが許さない。
私たちのプライドはあまりにもその成分濃度が高いためにノーマルブランドを名乗ることが許されない程である。
コンビニスイーツなどを見れば明らかであるが、“プレミアム”を名乗るのは生クリームの量が通常より多いとか、バニラビーンズの粒々が可視化されているとか、普通より大分味が濃いとか、そういったものである。
そのような意味において私たちのプライドの濃さはと言えば、バスタブ一杯分のプライドの原液をコーヒーフレッシュのあの端っこをパキッとやって開ける容器みたいなもんに人智を超えた方法でもって無理やりねじ込んだくらいの凝縮率を誇るのだ。
ハロー!私たちは【プレミアムプライド】を内包した生物であります。
だからだろうか、謙虚ぶっている人間は山ほど居るが、真に謙虚な人間というものは見たことがない。
私たちは“偽装者”の末裔であるからして「謙虚さ」についても当然、それを偽装してきた一族の末席に控えているのである。
社会を見渡せば、無能な者ばかりが出世していく。
何故か?
いよいよ至極単純なロジックである。
“より弱者を偽装した者が勝つ”
それが世界の理であり、私たちの種が刻んできた栄光の歴史である。
だから言わせて下さい。
もし私が仕事から帰って来た時に、
「もうお仕事行きたくない行きたくない行きたくないぃ〜〜〜(´;Д;`)!!!今日すごい嫌なこと言われたぁ〜〜〜(´;Д;`)!!!あんなこと言われながら働くつもり無いし俺ぇ〜〜〜(´;Д;`)!!!もう嫌になっちゃった嫌になっちゃった嫌になっちゃったぁ〜〜〜(´;Д;`)!!!今日で絶対辞めてやるんだふえぇぇぇえええ〜〜〜(´;Д;`)!!!」
などと言いながら泣いていたとしても、
それは全部、勝つためだと。
(2020-05-07)