「心の和室の襖はビリビリ」

古賀裕人のブログ

2020-01-01から1年間の記事一覧

ウエイトレス、ウエイター、あるいは見たこともない常連客

この世は舞台、人はみな役者、というようなことを急に言い出した変な人はマクベスの作者である。 それらの現象については、かねてより無意識の内に認識されているものであったし、確かに科学外の感覚においては馴染み深い隣人であった。 特に私たち日本人の…

タフネス、ビューティ、ペットボトルの中のアニミズム、あるいは僕たち私たちなりの威風堂々物語

美しさにも古今東西清濁高低貴賎玉石様々あるが、行為としての清掃についていえば、そこに込められた想いの差による美徳の喪失、あるいは文化的儀礼を通じた内的神話性の獲得に至るプロセスに関して触れぬ訳にはいかんだろうというのが私の結論である。 西洋…

窓の外のツツジ、あるいは机の上のマグカップ

この世には極論か暴論しか存在しないと言って差し支えない。 例えば相反するテーゼは相対的に極論であり、片一方からの景色においては対岸がアンチテーゼとなる。 そこで両者をぶつけ合うとどうなるかというと、偶然にもその場に神の目を持つ賢者が居合わせ…

スプーンで掬って食べるケーキ、あるいは偽りの王者たち

宇宙について考え始めると、この美しい地球(ほし)はおろか、かけがえのない私(me)についてさえ取るに足らない些末な問題であるように感じられてしまうのだから恐ろしい。 だから私には、「海を見てごらん。自分のちっぽけさに気づくから」というセリフが、慰…

なりたかったのは、あるいは優しい独裁者

子どもの頃から捻くれていた。 友人たちが仮面ライダーに憧れている横で、私は没個性的なショッカーたちにシンパシーを感じていた。 同級生が「モーニング娘の中で誰が一番好きか」について大激論を交わす傍らで、私は平山あやの勝気な眉頭に恋をしていた。 …

世界、あるいは下手くそな自己について

「なんで勉強しなくちゃいけないの?勉強なんかが一体、何の役に立つっていうの?」 そんな風な質問を、自分の子どもから、兄弟から、あるいは教え子などから受けたことがあるかもしれない。 もちろん私たち自身にも、同様の疑問を抱いた経験があったはずで…

僕の明太子、あるいは君のカフェ・オーレ

「明太子食べる?」と母に訊かれて、特に食べたいとは思わなかったが返事をする前に机に置かれた。 質問には回答を期待するものとそうでないものがある。 今回の場合においてはそれが後者であったというだけの話であって、母はコミュニケーション能力に特定…

知的、あるいは感情的なお尻の拭き方について

「常識」を語る上で欠かせないのはやはりウンコの仕方であるし、ケツの拭き方である。 私たちは様々な常識に縛られて生きているが、それらは往々にして暗に示されるものであるし、時代や地域、あるいはコミュニティによってやや細分化された異なる“常識”があ…

ミニスカートのある生活、あるいはお節介な宇宙人について

高校生くらいになるとあまりに性欲が高まり過ぎて毎日朝から晩まで基本的に前屈みで生活することになるとしても、やはり学校の授業や勉強というものを「義務」や「課題」として無感情に処理してしまうことの勿体なさと言ったらない。 というのも、高校生とも…

質の高い睡眠、あるいは丁寧な前戯が自慢のゴリラ

コミュニケーションにおいて最も難易度が高い表出行動って何だろう?と考えてみたら、最初に思い浮かんだのは「マウントを取らずに適切な批判を行うこと」であった。 「マウンティング」という言葉がいつ頃から流行し始めたのか定かでないが、皆ちょっと異常…

ありがとう、あるいは自販機について

完璧な人間など居ないのだから、誰だって他者に迷惑をかけながら生きている。 もちろん私たちはそれを良しとせず、なるべくなら誰にも迷惑をかけないように、出来る限りミスをしないように一生懸命暮らしている。 しかしそれでも「ついうっかり」、「すっか…

歯を磨きながらできること、あるいはそのタイミング

朝が一番忙しい。 シャワーを浴びなくちゃ、布団を畳まなくちゃ、脱いだ服を畳まなくちゃ、コンタクトをつけなくちゃ、歯を磨かなくちゃ、ご飯を食べなくちゃ、髪を乾かさなくちゃ、鞄の中身をチェックしなくちゃ、ゴミをまとめなくちゃ、トイレに行かなくち…